人形劇団ポポロ  

邦楽と人形劇の競演

「鬼ひめ哀話」を語る上で欠かせないのが音楽です。ポポロ初期に多くの音楽を創っていただいた故大倉ただし氏による初めての邦楽を、仲林光子師匠(筝曲七声学院主宰)他の方々の生演奏でお送りします。人形劇と邦楽の生演奏が織りなす、すばらしいコラボレーションをお楽しみください。

 

プロの邦楽家による生演奏

左より仲林利恵氏、仲林光子氏、吉口克彰氏

舞台の進行や時にはお客さまの反応を感じながら、語りのような独特の音を奏でる和楽器の生演奏で人形の動きや物語を表現します。

この邦楽の演奏を引き受けてくださっているのが、仲林光子、仲林利恵、吉口克彰の邦楽家の方々です。和楽器奏者として筝、三弦、横笛、鼓、琵琶などを駆使した演奏で、ジャンルを超えたさまざまな共演の舞台で活躍されています。 「鬼ひめ哀話」を初め「鬼笛」「耳なし芳一」など、多くの作品で素晴らしい音楽を創っていただきました。  

さねとうあきら先生を偲んで [七声楽院代表 仲林光子]

 

さねとうあきら先生が作品「おにひめさま」に込めた「永遠の女人像」。 そしてその作品をポポロで人形劇として上演したいと強く願った山根宏章氏。

2人の熱い気持ちがエネルギーとなって多くのアーティスト、スタッフの心を揺り動かし「おにひめさま」は1990年「鬼ひめ哀話」として武蔵野芸能劇場で初演されました。私は地唄三弦と唄で物語を運び、時に能管を吹いて激しい吹雪のシーンや不気味な沼のシーンを打楽器演奏者の吉口克彰さんと表現しました。

作曲は大倉ただし氏。鬼気迫る人形劇に負けじと緊張感満載の音楽、時に優しい音楽を作曲して下さいました。

ワンシーンワンシーンが今も心に甦ります。

初演の時、私は40代でした。なんと若かった事。月日の流れはあっという間です。

2017年3月の公演では私は69歳を迎えています。幸い体はすこぶる元気。気力も充実しています。まだまだ若い人達に負けないで山根宏章氏のサポートをして行けるでしょう。

2007年のポポロ30周年記念公演「鬼ひめ哀話」から娘・仲林利恵が笛で参加してくれる事となり、私の負担はかなり軽くなりました。

人形劇団ポポロ第56回公演、さねとうあきら先生追悼公演では音楽班一同一音に心を込めて演奏致します。 何卒沢山のお客様に御来場いただけます様お願い申し上げます。

 

仲林 光子[邦楽演奏(地唄・三弦)]

4歳より筝の手ほどきを受け、15歳より地唄、箏曲を小野衛氏、横笛を山川直春氏に師事し、古典から現代曲まで学ぶ。 現在、箏曲七声楽院を娘 利恵氏と主宰し、邦楽演奏と指導を全国規模で展開している。 現代邦楽会 副会長としてみさと笛、尺八のオリジナル作品を多数発表。会員の指導に力を注いでいる。 薩摩琵琶の語り物として、笛、箏、三弦、鳴り物を組み込んだ創作琵琶語りを多数発表し、好評を得ている。地唄、箏曲の指導や演奏活動を積極的に行っている。 東京都中央区の阪本小学校の児童に邦楽全般を指導し、オリジナル作品で毎年TBSこども音楽コンクールに出場。多数受賞している。

 

仲林 利恵[邦楽演奏(篠笛・能管)]

近年の音楽活動について 最近は母と二人でコンサート活動をする機会が増えました。琵琶語りと笛、箏と言った和楽器をより多くの人達に親しんで頂けるような舞台作りを目指し、また後進の指導にも尽力し、母と共に祖母の創立した「箏曲七声楽院」を守っています。

そして、私独自のスタイルを作り上げるきっかけにもなった、ギタリスト小馬崎達也氏が主宰するグループ「パンゲア」での演奏活動も、今年で17年目を迎えました。ここでは和楽器という概念を大きく飛び越え、洋楽器であるギターと調和する新しい世界にも挑戦しています。

それから和太鼓グループ「梵天」のゲストプレーヤーとしては、今年で16年目になりました。ここでは年に数回公演を行うだけでなく、笛の講師として定期的に指導も行っています。やはり演奏するだけではなく、教える事も自分の成長には必要不可欠なものであると考えています。

その他にも色々な活動を通して、充実した日々を過ごしております。もちろん今回のポポロ公演もその一つ。久しぶりの鬼ひめ哀話の笛、精一杯努めさせて頂きます。

 

吉口 克彰[邦楽演奏(鼓、太鼓他)]

愛知県出身。国立音楽大学で打楽器を学び、その後自ら考案した打楽器「琉水鉦」をはじめ、各種打楽器を用いて演奏活動を始める。

ジャンルにとらわれず、インド音楽、アラブ音楽、邦楽、フラメンコなど様々なアーティストと協演を重ね、現在に至る。

目下、ギターを中心としたグループ パンゲアで活動中。

 

大倉ただし氏によるオリジナル邦楽

1990年の初演時、それまで子どもたちに向けた人形劇をたくさん創ってきたポポロにとって「おとな向けの作品」と「邦楽」は大きな挑戦でした。その挑戦を支えてくれた仲間のひとりが、ポポロの初期作品の作曲を担当していた故大倉ただし氏です。

洋楽出身の大倉氏がこの作品のために邦楽を学び、舞台や登場人物に寄り添った素晴らしい音楽を創ってくれたことで、ポポロの新しい方向性を打ち出すとともに、大人の観客をつかんで離さないより高い次元のものに引き上げてくれました。

1990年上演にあたって(1990年初演パンフレットより転載) [大倉ただし]

大倉ただし

ポポロの初期作品の作曲を担当。「ドン・キホーテの大冒険」では自らギターを弾き語り、フラメンコの踊りと共に舞台出演。ポポロの歌の指導などたくさんの名曲を残しました。すべての作曲は心に残るものでしたが、「鬼ひめ哀話」は、特筆するものでした。 1992年4月没。

劇団創立以来、結構多くの芝居の音楽を書かせてもらいましたが、今回の「鬼ひめ哀話」は、ぼくがいつか挑戦してみたいと思っていたことができるチャンスを与えてくれました。

ポポロの芝居で、このように人間の心理に深く切り込んだ内容は、新しい路線であり、観客対象もより広範囲になったことは画期的だと、作曲の依頼を受けたときから、熱いものを感じました。

ぼくは、ポップス系音楽の出身ですが、十数年前、ある外国人の友人に触発されて、日本の伝統音楽に目覚めました。今日の日本社会はともすれば自国の伝統文化をきれいさっぱりと忘れ去って、欧米のコピー文化の観があります。これからボーダレスの時代になり、世界の人々との交流が盛んになるとき、自己の確立には、自国の伝統文化を認識することが大切な要素だと思います。そこで、今回は日本の音を、ぼくなりの解釈で実現しようと努めました。

この作品は、出来得る限り多くの人々に日本独自の趣として受けとめてほしいと願います。

今回の仕事を振りかえって、原作のすばらしさはもちろん、脚色、演出、美術、装置デザイン、デザイン文字、照明、そしてすべてのスタッフの方々から大きな刺激を受けて、良い仕事が出来たことに感謝します。