人形劇団ポポロ  

 

 

 

 

人形劇団ポポロについて

 いつでも どこでも 誰にでも おろしたての人形劇♪

 

人形劇団ポポロは、幼稚園・保育園・児童館・公文協・教育委員会・

子どもおやこ劇場をはじめ、

各種イベント等の出演や、劇団の自主公演も行っている人形劇団です。
地方での公演も積極的に行っています。
広範囲で多彩な活動を意欲的に展開、また演劇教室も、

大規模校から少人数の学校まで、

それに対応する作品で全国を巡演しています。

 

上演スペースや人数に応じてさまざまな演目をご用意しています[→作品紹介ページへ]
本格的な生演奏と人形劇を組み合わせたプログラムもあります。
地方公演も積極的に行っています[→巡業公演のページへ]
人形劇のワークショップも好評開催中!子ども・親子・先生それぞれ向けに対応します
一般公演のスケジュールも随時更新しています[→一般公演のページへ]
   

 

 

2017年 中国とロシアで 初の海外公演を行いました♪

 
 
★中国公演

第二回 南充国際人形劇フェスティバル

2017年5月31日〜6月6日

現地では、まるでオリンピック!?といった歓迎に一同仰天しつつ『ばけものづかい』ほかを上演、演出賞を受賞しました。日本語の舞台を中国で上演するという難しさを、コーディネーターの管祥子女史と操者の霍猛氏の協力を得て大成功させることができ、現地の子ども・おとなに大いに楽しんでもらえました。

 

★ロシア公演

オムスク第五回国際人形劇フェスティバル 《アルレキンのお客様》

2017年9月22日〜9月27日

待望のさねとう作品「鬼ひめ哀話」を上演。日本語での上演にもかかわらず、2ステージともに沸き起こるスタンディングオベーションに一同大感動!邦楽生演奏の素晴らしさが世界の方々に認められ、音楽構成賞を受賞することができ、世界の人形劇人と交歓し友好を深める、素晴らしい経験となりました。

この海外公演が大成功できたのは、アルレキン劇場のドゥブコフ支配人以下劇場のたくさんの方々の協力と援助、それに通訳の田代紀子さんのおかげです。感謝感謝です。

 
     
 

代表者・山根宏章が人形劇団ポポロをつくるまで

1956年1月、大阪にある人形劇団クラルテに入団、人形劇の畑にはじめて足を踏み入れる。年齢満19才。

 

 同時、大阪・日本橋の電気屋で、住み込みの丁稚奉公をしていた[僕]は、劇団から誘いを受けていた兄の身代わりとして、様子がてらに劇団を訪れたとき、「ちょっとこれ読んでみてんか」ポンと渡された人形劇の台本を、訳も判らずに読んでいると、そこに集まっていたひげ面の男たちが小声で「うまいやんけ」とささやくのが聞こえた。

 

 「ぼく、うまいんかなあ…」ぼんやり聞いた響きのよさに引き込まれて、「ほな、あしたから来て」「へえ」短いやりとりで運命が決まってしまった。「うまいやんけ」が命取り、それから54年間、この勘違いのまま「うまいやんけ」に乗せられる人生を歩んできた。

 [僕]について詳しいことは、別の機会に述べることにするが、この後の16年の間、人形劇団クラルテ〜人形劇団プークと人形劇役者の修行を続け、あわせて当時実験放送が始まったテレビ放送の仕事にも携わりながら、舞台とメディアの両方を視野に入れつつ、当初からの夢であった《脚本を書く》機会を少しづつ手に入れていった。

 

 また時代は、大きな変革を遂げていく時代であり、なかでも《60年安保闘争》が[僕]の演劇・文化・芸術活動に深い影響を与えた。 また、相前後してUNIMA(国際人形劇連盟)とのつながりを通して国際交流の機会が増え、海外人形劇の情報も容易に手に入るようになり、国内の人形劇運動も盛んになってきて、各地での人形劇フェスティバルに参加、指摘を受け友人の輪を広げることで、職業的にも専門的にも人形劇の技術者・芸術家として成長することとなった。

 

 安保後の日本は、東京オリンピックから大阪万博へと高度成長の波に乗り、科学技術の、めざましい進歩と相まって、映像メディアのめまぐるしい変化・発展をうけて、人形劇番組もいちじるしく増加し、人形劇タレントが専門職として生まれてくる中で、商品でなく作品を生み出すものとしての創造の原点をしっかり見つめ直していくことを、自らに求めざるを得なくなってきた。
 自分の子どもや地域の子どもを通して、日本のあるいは世界の《子どもの問題》に真剣に取り組む必要に迫られ、あらためて自分の舞台活動の意義を問うこととなる。

 

 そして、1972年7月、[僕]が住んでいた高円寺のアパートの一室を拠点にして、人形劇団ポポロを立ち上げた。ポポロとはエスペラント語でPopoi'o、英語に直すとpeople。
 《わかりやすい生きた言葉で語りかける最も民衆的な人形劇》をめざし命名したのです。
 芸はないが元気は№1と皮肉られもして来ましたが、元気が何よりの芸の種だと思います。

山根宏章
 

人形劇団ポポロ 代表

山根宏章

 

 

 

人形劇ポポロの歴史♪

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1975年 すてきなマーシャ  1976年 おにのあかべえ  1978年 どろどろどろえもん  1984年  NHK連続人形劇「ひげよさらば」ヨゴロウザ  1985年 百万回生きたねこ

1975年 すてきなマーシャ

 

1976年 おにのあかべえ

 

1978年 どろどろどろえもん

 

1984年 「ひげよさらば」

  1985年 百万回生きたねこ
1988年 ピノキオの冒険   1990年 鬼姫哀話            
1988年 ピノキオの冒険   1990年 鬼ひめ哀話            
 
     
 

 

★ポポロの誕生
1972年7月、小平を拠点にして「ポポロ」が誕生しました。劇団代表は山根宏章。

創立当初の活動は主にテレビ出演(NHK・フジTV・NET=現テレビ朝日・日本テレビ・TBS)などでした。

1977年10月稽古場を作り、劇団員の増加とともに上演活動も飛躍的に多くなり、1977年度の東京都児童演劇選定優秀賞を受賞した頃より、主な活動は舞台上演に移りました。

 

★多面的な活動への参加

1976年8月、寺村輝夫原作「おにのあかべえ」で、昭和51年度東京都優秀児童演劇選定優秀賞を受賞、以降毎年夏の演劇フェスティバルに参加、また79年以来、都民芸術フェスティバルにも参加

1984年2月から、NHK総合テレビ「ひげよさらば」に、山根が主役のヨゴロウザ役に出演。TV-CM、PVなど映像作品にも積極的に参加しました。また東京都児童演劇フェスティバルを始めとした各地のフェス、イベントにも参加しました。

 

★稽古場の設立

1981年には、プレハブながら東京都東村山市に稽古場と事務所を設立。

1984年2月から1年間、NHK総合テレビ「ひげよさらば」に、山根が主演のヨゴロウザとして出演。TV-CM、PVなど映像作品にも積極的に参加しました。また東京都児童演劇フェスティバルを始めとした各地のフェス、イベントにも参加しました。

子ども・おやこ劇場、公文協、小学校、幼稚園、保育園、児童館、各種イベントなど巾を広げていきました。

 

★演奏家との競演

1985年佐野洋子原作「百万回生きたねこ」、1989年C.W.ニコル原作「りんごの花さく湖」オリジナル脚本「ブナよブナよ」で、ギター・キーボード・ヴォーカルに星ひさし・甫木元志津さんを迎え、1992年「鬼ひめ哀話」で箏、三弦、笛、太鼓や鼓などの鳴り物と地唄で邦楽の仲林光子師匠・仲林利恵・吉口克彰さんとのコラボレーションを実現。更にはマリンバ・トロンボーンのデュオ大沢純子・山根禄里さんとの競演、あるいはピアノ奏者安住亜依子さんの演奏による舞台など 数多くの作品を生みだしています。

 

★自然との共存をテーマに

1989年「ブナよブナよ」、1990年「八国の山のくぬぎばんば」、1993年多摩らいふ21で「かっぱどんどん」など自然への警鐘、失われていく悲しさをテーマに作品づくりをしてきました。
1995年7月、児童協20周年に参加した「りんごの花さく湖」もこのテーマの第4作目です。ニコルさんの世界を人形劇と生演奏・うたで胸にしみ込む舞台づくりに成功しました。

 

★劇場・学校公演など幅広く

落語を題材にした2作品「じごくのそうべえ」そして小作品「ばけものづかい」を全国各地で上演しています。

また、絵本「14ひきシリーズ」の人形劇化では 中ホール向「14ひきのひっこしだ」、小ホール向き「14ひきのはる・なつ・あき・ふゆ」も幼児から大人まで楽しめる人気作品です。

 

★厚生労働省児童福祉文化財として

次の作品が、厚生労働省児童福祉文化財として受賞、推薦されました。

2008年度:「14ひきのひっこしだ」

2009年度:「じごくのそうべえ」

2012年度:「ばけものづかい」

2012年度:「耳なし芳一」

 

★「第33回日本舞台芸術家組合賞」を受賞しました

代表、山根宏章が「第33回日本舞台芸術家組合賞」を受賞しました! 受賞パーティーには200名以上が参加しました。山根も人形劇を披露し、花かごの皆さんが唄やミニコンサートなどで会場を盛り上げ、なごやかなお祝いの回になりました。

 

過去の代表作♪

鬼ひめ哀話、おにのあかべえ、虹のふえ、かいぞくポケット、百万回生きたねこ、14ひきのひっこしだ、ドンキホーテの大冒険、ピノッキオの冒険]等。